御津浜から豊橋港、渥美半島を遠望できる、ファミリーのハイキング登山に、ぜひお勧めしたい山です。
標高は361m、ゴールデンウィークの明けるころには、豊川市の特別天然記念物『コアブラツツジ』の可憐な花を、晩秋には、その燃え立つような紅葉をお楽しみいただけます。
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初夏には、コアブラツツジの開花がきれいです
宮路山聖跡碑
宮路山の山頂には宮路山聖跡碑があり、大宝2(702)年、三河を行幸した持統天皇が、この地を訪れたと伝えられることを顕彰して建てられたものである。大正天皇の即位の記念事業として、大正5(1916)年に当時の赤坂町により建設され、高さは2.7mある。それを支える重さ約3400キロの台石は「弾琴石」とよばれ、もとは宮路山中の大沢というところにあったという自然石である。平安時代末期の公卿で尾張に配流された藤原師長が、宮路山に立ち寄った際に、この石の上で琵琶を弾いたと伝えられることからその名がある。
歌に詠まれた宮路山
宮路山は、古くから三河の名所として知られていたことが、都の貴族らが詠んだ歌に出てくることから分かる。「躬恒集」(「古今和歌集」の選者で、三六歌仙の一人として著名な凡河内躬恒の歌集。平安時代中期成立)に、藤原定方の三河国司赴任の送別の宴で詠まれた歌として、「なにしおはばとほからねどもみやぢやま これをたむけのぬさにせよきみ」がある。この歌は、「あなたの赴任される三河の国の宮路山が宮殿に通う路という名を背負っているのなら遠いところとは思いませんが、これを道中の安全を神に祈るときの供え物にしてください」という意味で、当時の都の貴族が三河の名所として宮地山意識していたことがうかがえる。また、更級日記(菅原孝標女:すがわらたかすえのむすめが平安時代中ごろに記した自らの回想録)には、「あらしこそ吹きこざりけれ宮路山 まだもみじ葉のちらで残れる」の歌が記されており、宮路山が平安時代より紅葉の名所であったこともわかる。
宮路山コアブラツツジ自生地(市指定天然記念物)
宮路山は古くから紅葉の名所として名高いが、かえでの木がたくさんあるのではなく、コアブラツツジの紅葉である。この木は高さ3mほどの落葉樹で、春は新緑が美しく、釣鐘形の白い花が咲き、秋には葉が黄色から徐々に紅葉して赤くなる。頂上近くの北斜面に最も多く群生しており、もみじ観覧所付近からの眺めが最も良い。またこの付近には、枝ぶりの良い赤松もあり、紅葉と調和して一層の風情を添えている。